箱根の温泉と歴史 Lesson.2


こんにちは。ハコネラインです。

前回に引き続き、箱根の温泉のお話です。

今回は、明治時代に入り観光地として急速に発展していく箱根についてまとめてみました。

それでは・・・

福沢諭吉の一言で。

世は明治。長く続く侍の時代が終わり、人々が日本国内を自由に動き回れるようになると、当然観光地としての箱根は連日大賑わい。著名人も多く足を運ぶようになる、そんなある日。

塔之澤温泉に滞在していた福沢諭吉は、足柄新聞にある提言書を送ります。その内容とは「箱根普請の相談」と題した、箱根七湯を結ぶ道路整備の提言だったのです。

つまりは、「もっと箱根へのアクセスを良くした方がいいでしょう。そうすればもっと多くの人たちが箱根に訪れやすくなりますよ。」という事です。

この声に触発された箱根で商売をするご主人たち。これを機に、瞬く間に箱根の交通網は発展していくのでした。

 

インフラ整備

明治18年に小田原~湯本までの新道が開通した事を皮切りに、明治20年には宮ノ下まで開通、明治37年にはさらに芦之湯~芦川までも開通しました。

これが箱根を横断する今なお主要道路となっている国道一号線の誕生です。人々の流れは旧東海道から、この新しいルートへと大きく変わっていくのでした。

 

箱根登山鉄道の誕生

当時、東海道本線の経路から外れていた小田原と箱根を結ぶことを目的として明治21年に設立。
その時は馬車鉄道であったが、明治33年に電化され、ついに大正8年に湯本~強羅間に登山鉄道が走るようになりました!

また、大正10年にはケーブルカーが開業します。どんどん便利になっていきますね。

 

国際観光地?

江戸時代の末期、日本はアメリカをはじめ五カ国と修好通商条約を終結し、開国しました。
この条約には、「来日した外国人は、開港場に設けられた居留地に住み、開港場を中心とした約40km以外の土地には許可なく立ち入ってはいけない」という規定がありました。

開港場のひとつである横浜に住む外国人は、西は酒匂川までしか自由に行動できず、箱根は対象外でした。
しかし、箱根は横浜からほどよい距離にあり、避暑地として最高の場所であったため、明治の初めころから病気療養などの理由で特別に行くことが許可されるようになりました。

このように旅行が不自由な時代にあって、箱根は外国人の訪れることのできる数少ない保養所のひとつとして人気を博し、多くの外国人が訪れるようになっていくのです。

 

外国人向けのホテルの誕生

大名にかわる上客としてやってきた外国人を、いかにしてもてなすか。旅館によっては、ベッド、椅子などの家具から、西洋料理などをいち早く取り入れ、西欧の習慣に対応していたところも。

中には、箱根が外国人に人気の保養地であることに目を付け、箱根の旅館を買収して新しく外国人向けのホテルを建設する実業家も見られました。

 

箱根十二湯

明治時代になり、道路や交通機関の整備が進むにつれ、新しい温泉場も開拓されます。
この時新たに温泉宿が開かれたのは、、

  • 仙石原
  • 小涌谷
  • 強羅
  • 湯の花澤
  • 姥子(実際には江戸時代以前から確認されていた)

 

以前から親しまれていた箱根七湯と合わせ、計十二の温泉場を中心に益々発展していくのでした。

 

ふぅ。今回はここまで。ご一読ありがとうございました。