どうもハコネラインです。
ご存知、箱根は温泉場として栄えてきた歴史ある観光地。
いつまでも知らぬ存ぜぬでは進めないと思い、この度調べて参りましたので、ご一読下さいませ。
温泉の誕生
温泉の成り立ちはいくつかありますが、箱根は長い間の火山活動により誕生しました。
温泉という文化の成り立ちは古く、神話などにも登場しますが、当初は神事や禊など信仰の対象とした存在だったそうです。
時が流れ鎌倉時代以降になると、湯治といった医学的観点から注目されるようになり、次第に温泉に浸かる事が一般化されていきました。
湯治場としての箱根
鎌倉時代頃から人々は箱根山を越えて行き来するようになりますが、険しい山や煙が噴き出す様子を見て、当時の人たちは「地獄」を思い描いていたようです。
しかし一方で、箱根の温泉は病気やケガに良く効くと、噂を聞きつけてきた人々が湯治のために訪れており、滞在するための施設なども生まれ、次第に温泉場として形を成していくのでした。
ちなみに、箱根最古の温泉の開湯は奈良時代。釈浄定坊というお坊さんに発見されたと伝わる惣湯(そうゆ)がもっとも古く、今でも湯本熊野神社の社殿の下にあります。
この源泉は現在も使用されているというから驚きですね。
箱根七湯?
箱根温泉と所縁の多い人物で有名な豊臣秀吉。秀吉は小田原城征伐の際に、将兵らを温泉に浸かせ労をねぎらったとされています。
それから時代は進み、江戸時代になるといよいよ温泉場として箱根が賑わってきます。
小田原藩が残した記録によると、温泉場はこの時すでに七つあった事が記されており、箱根七湯(しちとう)と呼ばれ親しまれていたそうです。
- 湯本
- 塔之澤
- 堂ヶ島
- 宮ノ下
- 底倉
- 木賀
- 芦之湯
献上湯?
江戸時代になると、温泉場に行くだけでなく、温泉を取り寄せて病気療養にあてる献上湯という言葉も生まれるようになりました。もっとも献上の言葉通り、将軍や大名などに充てられるものではありましたが。
箱根の献上湯の歴史は、三代将軍の家光の時代に、木賀温泉から献上された事からはじまり、湯本や塔之澤、宮ノ下などでも献上湯が行われていました。
大名湯治
塔之澤や宮ノ下温泉を中心に、各地から大名一行が湯治に訪れる大名湯治も流行りました。大名湯治の際は、留湯(とめゆ)と言って大名とその関係者以外の利用が禁じられる措置がとられる中、時には数百人もの人が貸し切りで利用するほど。
このように、将軍への献上湯や、大名が湯治に訪れるようになると、箱根温泉の名は全国的にも知られるところとなり、評判を高めていくことになっていくのでした。
続く。